ところで、
「種をまく人」のまいている種について、
昔は麦という解釈だったそうですが、
今は、蕎麦という解釈がされているようです。。
が、
前回記事の絵の解釈でいくと、
人間にリアリティーを感じるボストン美術館の「種をまく人」の方は、不毛そうな傾斜地の厳しい自然のなかで、貧しくも逞しく生きる農民のありのままの姿を描いた写実主義的表現ととらえると、まいている種は、蕎麦なのでしょう。
そして、二作目と言われる山梨県立美術館の「種をまく人」は、リアルな人間よりも天界のジーザスの種まきの天界の教えを象徴しているかのような作風で、その暗喩的な表現が、ボストンよりも奥深さを感じる、ととらえると、実際のモデルは蕎麦なのかもしれませんが、やはり、「麦」を表している気もします。。
新約聖書マタイの福音書種まきの例えに続く後の節で出てくる麦と毒麦の例え話にあるように、天界からのメッセージのメタファーだとすれば、このミレーが描いた「種をまく人」のまく種は、麦なのかもしれません。。
また、ほかの譬(たとえ)を彼らに示して言われた。「天国は良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
僕(しもべ)たちがきて、家の主人に言った。『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
主人は言った。『それは敵のしわざだ』。すると僕(しもべ)たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
彼は言った。『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
出典 国際ギデオン協会新約聖書より
収穫まで待って、収穫時に束にして焼くとは、この新約聖書では、「収穫」とはこの世の終わり(end of the age)と言っていますが、
私の印象では、死ぬ時まで待って、死後地獄で焼かれるという感じで少々怖いですね。。
死んで自ら魂が思い出すまでそのままにしておくという配慮は、天界的かもしれませんが。。
ここで出てくる「毒麦」は、Weeds(雑草)の英和訳で、麦(小麦Wheat)の育成を妨げるものということかとも取れるのですが、
この新約聖書では、この後の節で、「毒麦」は、悪い者(evil)の子であり、「敵」は、悪魔(devil)とジーザスが言っているのですが、
天界の見解としては、
「敵」とは、実はルシファーで、麦(良い地に蒔かれた種が実った人間の象徴?)の周りには麦の成長を妨げる「毒麦」の象徴である雑草が生え、常にルシファーの誘惑のお試しがあり、麦は収穫(天界に帰る)まで油断ができない。
どんな時も、天界への道を踏み外さないように謙虚に生きなさいと、言われているようです。。
また、誘惑のお試しの象徴である毒麦も必要悪という大事な天界のミッションがあるのかもしれません。。
ちなみに、ミレーがサロンに出して賛否両論を得た作品は山梨県立美術館の「種をまく人」である可能性が高いそうです。。
もしそうなら、当時のフランスの格差ありすぎる社会情勢の中で、
絵画「種をまく人」は、
天界の真実を鑑賞者に訴え続けながら、その本質を理解できる者を探していたかもしれません。。
そして、ついに、天界に期待される国日本、山梨にやってきたと考えると、
ずいぶんドラマチックでミステリアスな奇跡と言えるでしょうか。。
Timshel!