Timshelの日記

日々のこと、世間話

地上のミッション

「道徳」が出てきたので、思い出したことを一つ。

 

以前、小学校で道徳の授業を拝見する機会がありました。

それは、オスカーワイルド原作から「幸福な王子」という題材でした。

 

確か、

きらびやかな世界にいて楽しい人生を送っていた過去を持つ、

今は身体に宝石をちりばめた、街を見下ろす像の王子が、通りかかった越冬燕に、

生活苦の民人に像の自分の宝石をあげてきてほしいと頼み、燕がとまどいながらも必死にせっせと届け、像の王子の宝石はみるみるうちになくなって、みすぼらしくなり、傍らで力尽きた燕が横たわる様を人々がこき下ろす、そして、その様子を見ていた神様が天使に命じて王子と燕を昇天させる、という内容だったと記憶しています。

大切なことは、人のために尽くすことという流れで終わっていたことに、表面的な感じがしてがっかりしたのでした。。

「幸福な王子」というタイトルの王子は、幸せだったかな、と聞いてほしかったです。。

生きている時は、遊んでばかりいて、民人を顧みることはなかったけれど、像になって街を見下ろしてようやく、民人の現状を知り、自分の無知さに気付き、自分のできることはこの身にちりばめられた宝石を分けてあげること。それを燕のおかげで達成できて、ようやく自分の使命を果たせたといえるかもしれません。

ぼろぼろになって民人から見下されても、魂の地上でのミッションをやり遂げた王子は満足だった、そして、燕も最初はそうでもなかったけれど、役に立て、使命を全うできた達成感で満たされていたかもしれません。

ふたりは魂の目的を果たすことができて、無事迎えに来た天使と共に天界に戻ることができた、というメタファー的な作品だったのではないでしょうか。

皮肉にも、目に見える部分では不幸に見えたかもしれませんが、大切なものは見た目ではない、見えるものがすべてではない、という深い話だったのではないかと思いました。

像の王子はきっと、いくら宝石で着飾っていようとも、憂いを帯びながら、街を見下ろしていたことでしょう。民のため、というよりも、何もしてこなかった自分に対して。

もし、燕がやってこなかったならば、目的を果たせずに、永遠に浮かばれることがなかったかもしれません。

人生には、自分の目的や使命があり、それを果たせずにいることは、果たして真の幸せなのだろうか。ぼろぼろになっても、やり遂げた喜びは、見た目でははかれないものではないか。燕という尊い助けは、まるで天からの助け、その助けというチャンスを生かすも生かさないも自分次第である。

 

一方で、人間は、なんと愚かなのだろう。見た目でしか判断できない、真の価値をわからない人間のなんと多いことだろうか。大切なものは目には見えないのに。

 

そして言えることは、情けは人の為ならず。

人のため、世の中のために奉仕するグローバルミッションは、

すべて自分の魂の目的を果たすためのもの。

 

みなさんの地上でのミッションは何ですか?

 

 

Timshel!

 

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