今日は、母の命日です。
早いものでもう三年が経ちました。。
以前から時々考えることがありました。
専業主婦だった母の人生は、果たして幸せだったのかどうかと。
家族の負のものをすべて持って行ってくれたようで、母に対して申し訳ない気持ちが拭えませんでした。
母のことを思い出す時、よくジョンスタインベックの「エデンの東」が思い出されました。timshelという言葉も、この小説から頂くなど思い入れのある本で、不思議と、苦手な英語のペーパーバックと日本語訳バージョンを一週間で読んだ記憶があります。。
小説の中で、期待する兄アーロンが(亡くなったはずの母親の素性を知りショックで)大学を辞め、兵役志願して亡くなってしまったことのショックで、父親が脳卒中を繰り返し、最後は、確執のあった弟ケイレブに見守られながら眠りにつく(看取られながら亡くなるのか意味深な表現)、というシーンと、教員というキャリアを捨てた自分自身と母の病気のことと重なって仕方ありませんでした。
昨夏のメディアムシップで、母が使命感をもって家族のために力を尽くし、務めを果たしたこと、後悔などみじんもなく愛にあふれていたことを改めて知り、天界の師によって救われました。。
そして、今、ふと、幸せかそうでないかは、人生においては、問題ではないような気がしています。それよりも、人生において最大の問題は、天界で決めてきた自分の使命を達成できたか否かであると、改めて感じています。
母は、確かに家族のために力を尽くすことも使命だったかもしれないけれど、最大の使命は、自分で言うのもなんですが、もしいつか、私が真の天界の遣い人としての道を目指し全うすることができるとするならば、私を生み育てたことなのではないかと改めて思えてまいりました。
ライトワーカーを生み育てる使命の母親を持ったからには、ライトワーカーとしての役割を正しく全うすることが私の最大の使命であり、先に人間界を卒業したツインソウルであろう母にとって最終目的(天界のミッション)が完結できるかどうかは私にかかっているということになります。。
私に限らず、そのような、母子で使命をお持ちの方はたくさんいらっしゃると思います。
終活も視野に入ってきた今日この頃、自戒を込めて、余生をちゃんと生きないと、あまり時間はありません。。
今日は母のために祈ります。
天界の最高最善の愛と光を・・・
Timshel!
