ご時世からか、
今世がオリジナルの魂での人間界が最後だからなのか、
試される人間の立て分けが進んでいるのかもしれませんが、
昨今、出会う方も損得で判断する人が本当に増えた気がします。
一見純粋さを装いながら、謙虚さを勘違いした、慇懃無礼で傲慢な人がいかに多いことか。。しかもそういう方は、善意につけあがる傾向にあります。。
もちろん、大変奇特な見返りを求めない、純粋に相手の立場をおもんぱかって、行動する、慈悲深く、高潔な方もいらっしゃり、その方々のおかげで、救われたことも多々あります。そしてそういう方のお気持ちだけで、こちらもますます力を尽くしたくなりますし、天界もその方を助けて下さいます。
私は、元の職業柄、損得の勘定が苦手で、任されたことは責任をもって遂行し、特に天界のセラピーに携わってからは年々天界の支えのもと今できることを惜しみなく、最善を尽くす悲しい性(さが)の為、バカにされたり、いいように使われたり、嫌な思いもたくさんしてきました。。
つい先日も、そのようなことがあり、自分でもつくづくバカだったなぁ・・・と寂しく思うも反省しました。。その方を調子に乗らせてしまったこともあるからです。。
結局、人は、どんなに知識として素晴らしいものを得ようとも、実践として日々のルシファーからの誘惑のお試しにどのように向き合うかが重要で、そしてその振る舞いは、その人の魂のレベルである霊格により、また、その振る舞いによってさらに魂レベルを上げるも貶めるも自分の自由意志であるということがよくわかってきた気がします。。
人の善意に対する態度は魂のレベルが低ければ、慇懃無礼の醜い態度を取っても自分自身では気が付かないまま、相手に不快な思いをさせるのです。
自分の何気ない態度で、もし周囲の人々から同じようなあまり好ましくない対応をされたら、相手が原因ではなく、自分の振る舞いを省みた方がよいかもしれません。
以前ミレーの「種をまく人」の記事で書かせて頂きましたが、
やはり、誰しもが持っているだろう天界の素質の種が、まかれた場所の違い(自らの意志のメタファーと言えます)のように、せっかく天界のことを知っても、浅い土にまかれた種は、すぐ下が石地のため根づかない。。
天界のことがわかったようで、うわべだけのものが多く、
ちゃんと畑の土の中にまかれ、実るものは少ないのかもしれません。。
しかも、天界のことを知ると、天界からのお試しもレベルが上がって、厳しくなってくるので、一層の魂レベルの高さが求められるようです。。
感謝しているようで、結果が意に添わなければ手のひらを返し、不満を漏らす、人任せのそのような人は、常日頃から無意識に与えられることが当たり前、持ち上げられて調子に乗って、謙虚さを忘れ傲慢になる、自分に自信がないから、太刀打ちできないと判断した相手には、慇懃無礼、自分より劣る者、劣ると判断したとたん相手を見下し、自分のほうができると無意識にバカにし、態度に表す。結局は、自分や自分の家族の幸せ(損得)しか考えない。。
天界は、針の穴を通るより難しいと言われますが、やはりそう簡単には、理解できない世界なのかもしれません・・・残念ながら。。
天界に気づき、天界のことを知ったとしても、そして、たとえ一瞬そのレベルまで魂のレベルである霊格を上げられたとしても、天界のその道を実践し続け、魂レベルを高次元に維持できるかどうかは、その方の持っているもともとの魂のレベルが非常に大きく影響してくるのだと痛感します。。
本当に、天界の遣い人を目指すと、色々なことを学ばされます。。
常に自分を振り返り、謙虚さと感謝の念を忘れてはならないと、自分に言い聞かせる日々です。。
timshel!